穂高町学者村 創始者からの言葉

 


穂高町学者村創始者、鳴澤悦郎よりの生前の言葉です。

昭和38年(1963年)の初夏、当時法政大学の役員であった私は大学の委嘱により安曇野の穂高町に土地を取得し、現在その土地は林間施設用地として春から秋はそれぞれのスポーツ、冬はスキーの基地として年間を通して利用されています。
この土地の購入に際し、当時穂高町の町長であった高山勇氏の強い要請により大学と再三再四協議した結果、別荘分譲などでは全くの素人であった私が穂高町所有の土地の開発に携わることになりました。
そして穂高町役場からもいろいろの協力、アドバイスをいただき、穂高町学者村は始まったのです。

 

   
昭和38年当時、穂高町は人口1万人にも満たない静かな田舎町で、
別荘などはまったく無く、宿泊施設は商人宿が
わずか1軒あるだけでした。
私が学者村を始めて数年後、神武景気により多数の業者が参入し、
この穂高町はたちまち長野県有数の別荘地帯になりました。
今や別荘数千戸、百件を超えるホテル、ペンション、旅館、
民宿などは中房温泉からの引湯を利用し、連日繁盛しています。
もともと穂高町から大町、白馬方面へ向かうには国道147号線
のみでしたが、現在は4本の舗装道路が完備され
、人口は飛躍的に伸び3万人を越え、
長野県で最高の人口増加率を誇っています。
従って経済活動の伸びも素晴らしく、西友、ジャスコ
などをはじめ大手スーパーも続々と進出し、
松本市に匹敵する最大商業地になりました。
NHKの第一回の連続テレビ小説の舞台に
なった「鐘の鳴る丘」の建物です。
荒れるがままになっていたこの建物を見かねて私が購入し
町に寄付し、今では文化史跡として大切に保存されています。

長野県人特有の進歩的気質は芸術面で特に発達し、
昭和20年代に建てられた碌山美術館は萩原碌山の作品を
集めて特に有名で、その後美術館が続々と建てられて
その数は現在30にも及び、「ガラス工房アートヒルズ」
「ちひろ美術館」などは一年中観光客で賑わっております。


穂高町のリゾートの発展への寄与、また「鐘の鳴る丘」
寄付の功績により、穂高町より記念碑を建てていただきました。
穂高町は元来長野県最大の米の産地であり、
アルプスからの伏流水を利用した「わさび畑」は
年間150万人以上の観光客が訪れています。
そのさまは皆様もテレビや雑誌でご承知のことと思います。
アルプスの山と牧歌的な広大なる田園風景は人々を 楽しませ、
その路傍に点在する百に近い道祖神もまた有名です。
牧地区の住民の憩いの場である草競馬場の保存のため、
手に入れ、町に寄付いたしました。
今では町のスポーツ施設として使われております。
   

学者村は当初から全国の大学関係者及び文化人のみに
宣伝して参りましたが、今後もそれは崩さないつもりです。
この静寂な環境をずっと長く保守して行きたいと思っております。
また100万坪に及ぶ国営あづみ野公園も整備中であり
、将来この穂高は軽井沢に並ぶ、県下有数の
別荘地になると確信しております。

草競馬場を保存した功績により、
町から記念碑を建てていただきました。
 

往事を回顧すれば全くの驚きの一言に尽きる
としか言いようがありません。
それは高速道路の発達により東京及び
大阪方面からの時間的短縮と、それに伴う経済面の発達
により穂高町に大きな変化をもたらしたことです。

皆様も北アルプスと川の安曇野に、是非一度訪れてみませんか。

     
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